“数年前に、友人と心斎橋のよく当たると言われている占いに行ってきました。中でも人気の方は30代の男性で占い師っぽくないどこにでもいそうなお兄さんという感じの方でした。朝、開店前に並んで予約をするのですが、私の前に並んでいた女の子がみんなその方を指名したので、私の番は午後6時に予約が出来ました。占いの目的は今の彼氏とこのまま結婚出来るかということです。答えはノーでした。付き合うにはいいが結婚はまた別の人になるとのことで、結婚は28歳、子供は3人と言われました。
人相も見られるとのことで、見てもらうと、とても社交的で接客業に向いているとのことでしたその当時は、化粧品の販売員をしていて接客業でした。そして、今30歳になりますが、結婚は28歳で子供は一人います。けっこう当たっているのかなという感じです。”
*うつ病の彼女の復帰を当てた当たる占い*
“親友が、結婚してからうつ病を発症し、あんなに元気だったのにひどいときには寝たきり状態になってしまっていました。体調が悪いときにはメールさえ交わすことができず、ただ心配することしかできないのです。
そんなある日、彼女は体調が良かったようで、彼女のほうから家に来ないかとお誘いがありました。久しぶりに会って彼女が言うには、先日当たると人気の占いへ行ってみたらしいのです。田舎の自宅にて占ってくれる高齢の占い師らしく、人気があるので遠方からも訪れる人が後を絶たないそうです。
そこで彼女はその占い師に、「全身が滝に打たれてびしょ濡れになっている状態が長く続いています、心が悲鳴をあげているようです。今は休む時。心の病のせいで、本来の優しさが妬みに変わってしまっていますが、優しい気持ちを取り戻せる日が必ず来ます闇は半年経つと明けます」と言われたことを話してくれました。
彼女はそれから半年後に、仕事にも復帰できるように病気も回復し、元気な笑顔が戻っています。”
*原宿の人気占いが当たる*
“原宿の占いは当たります。
友達が推薦するといっていた原宿の人気の占いを試してみました。女性の方でしたが、悩みをこちらから話す前に、悩みを言い当て、それに対応する方法も教えてくれました。浮気していた彼を許し、これから先も今までと同じようにお付き合いしていくという事に対して、悩んでいたのですが、浮気していた彼とは別れたほうがいいと言ってきました。
別れるタイミングを早める事で、2013年に彼氏ができ、その人と結婚するという事も言っていました。そして、結局は別れたのですが、その後に、2013年の春にお付き合いしていた人と、1年お付き合いした後に結婚する事になりました。お付き合いする彼の性格なども優しく、手放すと絶対に後悔する事になると言われましたが、とても優しいです。
その他にも当たると感じる事が多かったです。”
*天王寺のとある占いの館で・・・*
“昨年結婚をしてマイホームを購入したのですが、独身時代の荷物を整理していると一枚のメモが出てきました。中を見てようやく思い出したのですが、5年ほど前天王寺にある有名な占いの館に行ったことがありました。大学でもそこの占いの館が物凄く当たるらしいという噂があったからです。
中には4~5人ほどの占い師の方がいて、タロット、サイコロ、手相、とやり方も様々で、私をみてくださった方は道具は何も使わず、年齢と誕生日を伝えるだけでした。じっと私の顔を見て、まず私の家族構成や性格を言い当てられました。その当時まだ一度も彼氏ができたことがなく、将来結婚出来るか心配だと相談するとメモをみせられ、同い年、グルメ、次男、先生、とありました。その当時は信じていませんでしたが、主人は小学校の先生、二人兄弟の次男、同い年…
それくらいならまだ偶然かなと思えるのですが、びっくりしたのはマイホーム購入の時期…
2014.2015年のどちらかの5月、と紙に書いてあったのです。購入したのは昨年2014年5月中旬。これって偶然なんかじゃないですよね…。今も変わらず人気があるようなので、今度主人を連れて行こうと思います。”
*占いなんてって思っていた私ですが、*
“どちらかと、いうと、アンチ占いだった、私が、、、不思議な体験を。
京都の山奥の一軒家。いわゆる、怪しげな感じは微塵もなく、白い外観の、普通の家族が暮らしていそうな明るいイメージ。
妻の実家の近くで、その界隈ではとても当たると有名で、全国各地から、わざわざ足を運ぶ方も沢山いるという人気の占い師さんらしく、せっかく予約とれたからと、しぶしぶ。しぶしぶというのは、実は本意ではなく、当時の私は、仕事も、友人関係も、体調も最悪、藁にもすがりたい最悪の状態。
時間になり、畳の部屋に通され待っていると、現れたのは、いかにも肝っ玉母さんって感じの明るいオバサン。占いを始めるというより、最初は、趣味を聞かれたり、オバサンが海外旅行に行った話しを聞いたり。でも、不思議に、僕の心はどんどん軽くなり、何時くらいぶりだろうと自分でも思い出せない位、心から笑っている自分が。そろそろ時間って事になり、最後にオバサンが、「来年また会えるね」っと言って、小さな石を手渡されました。来年?という言葉がずっと気になりながら、、
そして、翌年、あの恐ろしい地震が起こり、私はオバサンと再会しました。”